【Sugiのロシア語奮闘記 1】なぜ40歳でロシア語留学を決めたのか──モンゴルからキルギスへ、私の旅の原点

サラーム!アシュトラベルのSugiです。
これから、私がキルギスでロシア語を学ぶ日々を「ロシア語奮闘記」として綴っていきます。初回は、そもそもなぜ私がアシュトラベルに関わり、ロシア語を学ぶに至ったのか。
少し、自分の話をさせてください。
モンゴルから始まった、私の旅の物語

私のスタートはキルギスではなく、モンゴルでした。
「ツォクトモンゴル乗馬ツアー」という現地の遊牧民が運営する乗馬ツアーに関わり、日本人サポートチームの一員として、マーケティングを担当しています。
もともとマーケターという職業はさまざまな働き方があり、パソコンとネットさえあれば、どこにいてもできるケースもあります。海外ノマドもしかりです。
けれど私は、「画面の向こうの世界」を扱うだけでは物足りませんでした。
どうせなら、リアルに体験したものを、自分の言葉で届けたい──
そう思った私は、雪原を馬で駆け、遊牧民のゲルに泊まり、現地の暮らしを肌で感じることを選びました。
モンゴルの大地で出会ったのは、私とはまったく違う価値観で生きる人たち。予定も効率も優先しない、風のように自由な生活。でも家族や家畜に大きな責任のある暮らし。
その出会いが、自分の殻を少しずつ溶かし、心をほどいてくれました。
そして、キルギスに恋をした

中央アジアにも力を入れていくことになり、視察で訪れたのがキルギス。
そこで私は一瞬で恋に落ちました。
「中央アジアのアルプス」とも呼ばれる壮大な山々。その山を、馬で駆け登る絶景の乗馬体験。
自然のなかで息を呑むような非日常を味わいながら、まるで自分の中に新しい扉が開いていくような感覚。
そして何より、キルギスの人々の温かさに心を奪われました。見知らぬ私を家族のように迎え入れ、困っていれば声をかけてくれる。
しかも、どこに行っても「日本人は兄弟だよ」と言ってくれるんです。
こちらのコラムで詳しく▶キルギスと日本は兄弟?似てる?親日国との不思議なつながり
特に、アシュトラベルの代表のヌリヤさんが素晴らしい。お客様はもちろん、関わる人すべてを温かい気持ちにしてくれます。日本語もお上手で、会話も楽しい。
「キルギスどこ?」と言われて、悔しかった

でも日本に戻ってその話をすると、最初に返ってくるのは「え、キルギスってどこ?」という反応。自分も元々そうでしたが。。。
こんなに日本のことを想ってくれている人たちがいるのに、私たちはその存在をほとんど知らない。
それが、もったいなくて、悔しくてたまらなかった。
私はアシュトラベルを通じて、キルギスの自然の美しさや、遊牧民のおもてなしの心、そして“心が開放される旅”の魅力を伝えていきたい。
でも、それにはある大きな壁が立ちはだかっていました。
言葉の壁です。
通訳を頼るだけでは、伝わらないものがある

アシュトラベルには頼れる現地ガイド・ヌリヤさんやヌルべくさんがいます。
そしてカザフスタンには英語ガイドのアイベクさんがいて、タジキスタンにやウズベキスタン、トルクメニスタンにも英語や日本語ガイドのネットワークがあります。
彼らがいれば、ロシア語やキルギス語、カザフスタン語も通訳してもらえる。
でも私は、あるとき気づきました。
「これは、翻訳じゃなくて、“理解”が必要だ」と。
彼らがどんな思いでお客様を迎えているのか。
日本の魅力をどんなふうに受け取っているのか。
それを真に理解するには、自分の耳で聞き、自分の口で話す必要がある──そう感じたのです。
40歳からのロシア語留学

こうして私は、40歳を迎えたこのタイミングで、ロシア語の勉強を始めることにしました。さすがに、キルギス語やカザフスタン語はすぐには難しいので、まずは各国で共通で使えるロシア語から。
昼は語学学校に通い、空いた時間で仕事をしながら暮らす生活(日本からお金をいただいているので、実質、海外ノマドのリモートワークですね)。
不安もあります。でも、人生はまだ半分残っている。あと40年生きるとしたら、今はまだ“始まり”だと思える。
年齢に関係なく、挑戦できる。
そう思ってもらえるきっかけにもなれたら嬉しいです。
これから、キリル文字でつまずいた話や、初めてひとりで買い物に行った日のことなど、等身大の「ロシア語との日々」を綴っていきます。
どうぞ、ゆるくお付き合いください。

sugiura
アウトドア好きのアラフォー編集者。ユニークな体験を求めて国内外をさまよう。デジタルデトックスに憧れて旅に出るも、結局パソコンを手放せないのが悩み。